両国橋(東京都中央区)

小雨まじりの日だったので、薄暗くて怪しい雰囲気の写真になってしまいました…。

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   両国橋・両国広小路・両国川開き

 江戸幕府は防備を固めるため、千住大橋から下流の隅田川(大川)に橋を架けさせませんでしたが、明暦3年(1657年)の明暦の大火において、江戸の大半を焼き尽くすほどの被害をうけ、多数の犠牲者を出したことから、万治2年(1659年)※を最初に、防災対策として橋を架けることとなりました。当時の橋は、現在の位置より約100m下流側にあり、明治後期までその位置にありました。両国橋の名前は、武蔵の国と下総の国の境が隅田川であったことから、その両国に架かる橋であることが由来であるといわれています。

 また両国橋架橋のきっかけとなった明暦の大火後、延焼防止のため橋に向う沿道一体を火除け地に指定し空き地としました。やがてこれが広小路となり、江戸三大広小路(両国・上野・浅草)の一つとして、両国広小路は盛り場に発展しました。

 両国川開きは、享保18年(1733年)から始められ、当時は5月28日から8月28日まで継続して行われ、時々花火が打ち上げられていました。江戸庶民を魅了した花火は、横山町の鍵屋と吉川町(現在の東日本橋二丁目)の玉屋が請け負って、玉屋は橋の上流を、鍵屋は橋の下流を受け持ち、技を競い合いました。打ち上がった鼻木を賞賛する「かぎや」「たまや」の屋号の掛け声は、このときから始まりました。両国川開きは交通事情により、昭和37年(1962年)に中止されましたが、現在は「隅田川花火大会」の名称で場所を上流に移して復活し、人気を集めています。

※寛文元年(1661)年ともいわれる。

中央区 環境土木部とみどりの課 平成23年11月設置

(中央区教育委員会監修)

 

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遠くにスカイツリーが見えてますね。

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  両国橋 【橋長】164.5m   【幅員】24.0m

      【構造】3径間ゲルバー式鋼鈑桁橋

両国橋の名は、武蔵と下総の二国を結ぶ橋であることからこう呼ばれましたが、正式にはただの”大橋”でした。しかし、新大橋などもつくられたため両国橋が正式の名となりました。明暦の大火(1657)では橋がなく逃げられずに多数の死者が出たため、大火の後にこの橋が架けられました。回向院はその人々を弔うために建てられ、後に勧進相撲が催されることになったのです。現在の橋は、昭和7年(1932)に完成しました。

 

 

  柳橋  【全長】37.9m    【幅員】11.0m

      【構造】鋼製態度アーチ橋

”柳橋”は、神田川が隅田川にそそぐところに架設されたので、はじめは”川口出口之橋”あるいはちかくに幕府の矢の倉があったことから”矢の倉橋”と呼ばれていました。明治維新後、柳橋は新橋とともに花街として東京を代表する場所になりました。現在の橋は昭和4年(1929)に架け替えられた鉄橋です。昭和初期の震災復興計画の中で、耐震構造に配慮した隅田川に架かる永代橋をモデルに建設されました。中央区では、平成3年度に傷んだ親柱を復元し、欄干は花街に因んで”かんざし”を飾り、歩道には御影石を貼って再生しました。