佃島渡船跡/佃島渡船場跡(東京都中央区)
2011年11月に行った佃島渡船跡とその対になる佃島渡船場跡の碑です。


佃島渡船場跡
所在地 中央区湊三丁目一八番
佃一丁目一一番四号
佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲でした。
徳川初代将軍徳川家康の時、摂津国佃村(大阪市西淀川区佃町)の漁民を招いて住わせたところと伝承されています。この島と対岸の船松長(佃大橋西詰付近)との間に正保二年(一六四五)に通ったのが佃の渡しです。
明治九年(一八七六)には、渡し銭一人五厘の掲示札の下付を願い出て許可され、大正十五年(一九二六)東京市の運営に移り、翌昭和二年三月、無賃の曳船渡船となりました。「佃島渡船」の石碑は、手こぎ渡船を廃止した記念として、この時期に建てられたものです。
この石碑は、この時に建てられたものである。昭和三十年(一九五五)七月には一日七〇往復にもなりましたが、同三九年八月、佃大橋の完成によって三〇〇年の歴史を持つ佃島渡船は廃止されました。
渡船の歴史を記念する史跡として中央区文化財に登録されています。
平成十六年三月
中央区教育委員会
場所:東京都 中央区湊3丁目18番
そしてこちらは対岸の碑。
碑そのものの写真がなくてすみません。

佃島渡船跡
所在地 中央区佃一ー二-一〇
湊三-十八先
佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲である。
徳川初代将軍家康の時、摂津国佃村(大阪市西淀川区佃町)の漁師を招いて住わせたところという。この島と対岸の佃大橋西詰付近との間を通ったのが佃の渡しである。
明治九年七月には、渡し銭一人五厘の掲示札の下付を願い出ている。大正十五年東京市の運営に移り、昭和二年三月、無賃の曳船渡船となった。
この石碑は、この時に建てられたものである。
昭和三十年七月には一日七〇往復となったが、同三十九年八月、佃大橋の完成によって廃止された。渡船の歴史を記念する区民史跡として中央区文化財に登録されている。
平成十二年三月
中央区教育委員会
場所:東京都佃島1丁目11-4 佃公園内
